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篤姫 天璋院 篤姫の最期の所持金について・・・

2008.06.03 未分類
天璋院(篤姫)は、江戸城の無血開城後、徳川家からの援助で暮らし、徳川宗家16代・家達の養育をしたとあります。その家達は留学したりしてとても立派(官位は従一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。公職としては第4代貴族院議長、ワシントン軍縮会議首席全権大使。第6代日本赤十字社社長などを歴任)な人だと聞きます。そのような人の養育をした天璋院(篤姫)はなぜ最期の所持金はたった3円(現代の6万円)しかなかったのでしょうか?徳川家からの援助、家達の援助はなかったのでしょうか?(援助してもらったお金はすぐに元大奥の人たちに援助してしまっていつも手元にはなかったのでしょうか)

また、なぜ最期の所持金はたった3円ということが今まで言われているのでしょうか?だれのリークでしょうか?



もちろんですが、篤姫本人がお金を稼げるわけではありませんから

当然徳川家の賄いで過ごしていたと考えられます。

徳川幕府瓦解の際に、島津家から年間3万両の仕送りが申し込まれましたが

「わたしは徳川家の人間ですから、徳川家の賄いで十分ですよ」

と断ったという話もありますね。

実は当時の徳川家の財政は火の車でした。400万石の資産が70万石にまで減らされ、多くの旧幕臣を抱えて養っていかなければいけなかったのです。

篤姫は自分の元側近たちの再就職には非常に熱心に心を砕いたといわれています。

そのために必要なお金を捻出するのも大変だったことでしょう。

豪華な調度品や衣装なども以前仕えてくれた女中たちにあげてしまったり、処分して生活の糧にしなければいけなかったようです。

それまで湯水のようにお金を使える身分だった篤姫にとっては非常な苦痛だったことが伺えます。

あと、ここらへんはわたしの推測ですが、いくら倹約節約したとはいっても元御台所という人になれば、どうしてもお金を出さざるを得ない場面もあったと思います。

身分の高い人たちとの交際費も必要でしょうし、衣装にしてもいつもボロを着ているわけにはいかないでしょう。

色々あって、お金を残せるような状況ではなかったでしょうね。

ちなみに亡くなった時の所持金に関しては勝海舟が著書の中で述べていたような気がします。



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